子供の時に思っていたことがあって、それは信じられる人と友達でありたい、ということ。
学生時代はなかなかそれが出来ず、いつも疑心暗鬼だった。
でも、ここにきて、なにやら信じられる人たちに囲まれてる?と思うことが多い。
それでも時々疑心暗鬼な天邪鬼がむくむく顔を出してくる。
でも、その天邪鬼を手放してフラットになると、楽になる。ぎゅっと固くなった体と心に完敗して、私の感じ方が間違えてる?なんて白旗を振るとすっと力が抜ける。
私何をこだわってたのか?なんて思う。
結局。思考よりも感じてみて、それでも信じたいって時はその感じを信じた方が良いのかも。
それは相手も自分も感じて。その感じを信じれば、OKなのかもと思い始めている。
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